こんにちはー。
こんばんはー。山の向こうがぴかぴか光ってます夜中です。
昼間はこんな雲が流れていたのに。
季節の変わり目には雷雨が多いですね。
お元気ですか?9月になりましたね。嬉しい季節です。Autum in New Yorkというジャズの曲を最近思い浮かべています。
今日は真面目に書いてみようと思います。(ここのことろ、おちゃらけてばかりいたし、いつもこんな私だと思われたら、たまったもんじゃありませんし<って、私をご存知の方は今更か・・・とお思いでしょうが・・・まま、今日はままま、てことで)題してエッセイ風Bbブログってな訳で・・・。
サイトブルービーチカフェも、エッセイのコーナーを作ろうと思っております。小説がはかどらないのを理由にしている訳じゃありませえん。・・・321もバッテリーパークも、ちゃあんと最終までいっているのです(^^; <アタマの中では・・・。
ま、そういうわけで・・・。
昨日、所謂アルコール中毒という女の人を見た。見ただけで話したわけではない。ただ遠目で見ていただけだ。バァに行き、カルピスを飲んでいたら彼女が入ってきただけだった。マスターは彼女に慣れているらしく、酔いつぶれた彼女をあやし、水の入ったグラスを持っていきタクシーを呼んで彼女を帰した。聞くと、私より若いその女はどうやらアル中で離婚をしていて子供がいて、何軒もはしごをして酒を飲み最後にこの店にやってくるそうだった。お金を払うという彼女にマスターはお金は受け取らなかった。
真夜中2時過ぎだ。子供を残して家を出て酒を飲んでいるという女性。飲まずにはいられない事情があるんだろうか。この町の人じゃないという話だった。
その夜、家に帰り寝る前にワインを飲みながら本棚から久しぶりに片岡義男の「AND I LOVE HER」という文庫本を手にした。女性の様々な場所での風景を描いたものなのだが、その中に主人公の女性がホノルルの新聞をあつホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら読むシーンがあった。
その厚い新聞の中のアル中の母を持つ子供の話の描写があった。アル中の母は子供を酔っ払ったまま車に乗せてショッピングセンターに行き、買い物をして車でまた帰りソファで寝てしまう。子供はおびえている。母親はアル中の病院へ入った、ということだ。
この小説の刊行日を見ると昭和57年とあった。今から27年前のアメリカが見える。
片岡義男はこういう事情に嘘は書かない。たぶん。自分がどこかの新聞で読んだことをそのまま小説に取り入れているんだろう、と思う。(というのは彼に私は昔、一読者として手紙を書いたことがあり、ちゃんと返事が来たことがあったので少しばかり彼を信用している)
今の日本はまるで昔のアメリカの家庭事情に似てきているのだろうか。何も、昨日その女性を見たからではない。子供相手の仕事をしていると子供の後ろ側の事情も見えてきてしまうので思う次第だ。だからといって悲観している訳ではない。アメリカナイズしているこの国では仕方のないことかもしれない。いくら私が何かを言っても、その子の後ろ側まで声が届くとは限らない。
この夜の、なんだか偶然な本の内容になんともいえない気持ちになった私はもう一冊、戸棚から取り出しぱらぱらと読んだ。「イギリス民話集」というおなじみのジャックと豆の木などは入っている本だ。その中に「魚と指輪」というお話があった。北イングランドのある領主は大魔術師で、幼い息子の運命を読んでみたら息子は名も無い貧しい娘と結婚するでしょう、と出たので、娘を子供のうちにどこかへやってしまう。ところが不思議なことに、それこそ運命の導きで、結局、その息子と娘は結婚する。最後に、もうこれは運命だと領主は諦め、「皆仲良く幸せに暮らしました」。(The fish and the ring)
そうなのかな、運命って決まっているのかな、幸せになる運命なら決まっているのかもしれないな、と数百年前のおとぎ話に何かを教えてもらった気持ちになったのだった。
運命は自分で切り開くものだと言ったのはベートーベンだったかな。
今、ここに居る運命。今、誰かと知り合う運命。何かをしている運命。それも糸のように回りまわって人間関係というものにつきあたる。
糸紡ぎをしたいな、と思う。糸を紡ぐと何かが見えてくるかもしれない、なんてね。思う。
サマーセーターが出来上がりました。
題して名残の夏のサマーセーター。
↑手・・・手がえらそうですが・・・(−−;
まだアイロンをかけてないので糸が落ち着いていない様子ですが、すいません・・・。
編み物や洋裁で、嬉しく、良いところはオリジナルに代えられるところ♪パターンとは大幅に変わってしまいました。
そして自分の嗜好がわかるというものです・・・・
そーです。どうも私はフリフリが好きらしい・・・・。まま、夏の終わりだし・・・。ね。<理由になってないって?