先日、以前の自分のHPで書いていたものを再度読んでみたんだけれど、エッセイなど読むと、あ〜、そういえば、こういうことがあったんだなーと思い返したり恥ずかしくなってみたり、わははーーと笑ったりしておりました。
T・S エリオットの詩のごとく「思い出と希望が混ざり合って」いる4月の半ばです。
こんにちはー。
どうも4月はやはりこの詩から逃れられない運命のBbです(^^;
さて、その旧ブルービーチカフェのエッセイんとこに、初めて新聞に投稿したことのあるエッセイがありました。高知新聞には女性専用のエッセイ投稿欄「あけぼの」という箇所があります。そこに送ってみたんですねー。まだネットもない時代でしたっけ。Hpなんてのも作るなど夢の時代。
イギリスに旅行した時のことを書いていたのですが、留学の後、数年後にイギリスに旅行してホームスティ先のMの家に行ったことがありましてね。ロンドンから南へ電車で2時間ほどのHという町に留学してたんですけど、その旅行ん時、電車の中にカメラを置き忘れてきたんですねー。Mの家に着くまで気がつきませんでした。はっと気がついた時にMに言ったら、「誰か正直者がいるといいわねー。出てくることを祈りましょう」って言う。翻訳するとなんかこう、変だな・・・(−−;ニュアンスが違うんですが、ま、いいとして。
その時、Mは手作りのケーキを出してくれました。もちろん紅茶と。いつも台所の大理石のカウンターの上でこねこねして作っていたカステラのようなケーキ。すっごく懐かしかったのを思い出します。2匹の犬とMと。リビングルームでよくMと競馬のTVなどを眺めたものでした。
今、こうして書いててとても懐かしい気持ち。
思えばMと過ごした時間は長く、買い物に連れてってくれたり犬たちの散歩に一緒に行ったり。Mの友達のタイ人さんや黒人さんと一緒に紅茶を飲んだりしたなあ。皆で中華テイクアウトのパーティなどもしたなあ。Mはアイリッシュだったので移民の友達のほうが多かったようでした。そういえば病院なんかにも一緒に行ったことがあって、もの珍しかったのを思い出す。なぜか、いつも一緒に行ってくれ、なんてMが言うのでした。
学校で仮定法なんて習うよりもよっぽど勉強?になりました(^^;
そうそう、そして、旅行ん時のカメラの話ですが、帰りに駅で駅員さんに落し物でカメラ出てないかなーって聞いたんだけど、なかったのです。
日本に帰って、皆に「カメラ落としちゃってー」と言いふらしていたら、色々な反応があって、「残念だったねー」「出てくるわけないよなー」とかの答の中に、一人だけ「誰かに君が贈り物をあげたんだよ」と言う人がいました。私は、はっとして、あ、そういう考え方もあるんだ!とその時何かが変わった気がしました。その人はアメリカ人でした。giftとその人が言うのを私は不思議そうに眺めていたに違いない。そういう風に言う人を見たことがなかったから。
ネガティブじゃなくポジティブに物事を捉えたら、こんな風に考えることもできるんだな。
そんな風に書いたエッセイでした。採用されて金曜の新聞に載ったっけなあ。初めて自分の書いたものが活字になったので単純に喜んでました。
私はよくそんなことに感動して自分もそうしちゃおう!と思っていても忘れてしまって、また井戸の底にいるような気持ちになってしまう。
まあ、人間だから・・・と詭弁しつつ、また自分の書いたものに励まされてたりします。
ハルジョオン?ヒメジョオン?見分けが私にはつきません。
Mのことを書いていたら、ずるずると記憶の糸がこぼれてきたので、続けます。
英語学校で初めは中級クラスに入ったワタシでしたが、さて、次のクラスを選択するのにどーしようと考え、テストに向けてのクラスだったらきっともっと英語力がつくだろう!と無謀な賭けに出まして、超きついクラスに入っちゃったのでした。宿題はバンバンあるし、午後遅くまで授業あるし毎日ちょっとぐったりで、MとP(だんなさん)が寝静まった後に、よく一人で台所のテーブルで宿題をしてました。そのテストを受けたらEuの仲間だったら(ヘンな日本語だけど)イギリスで働いたりできるんですねー。ワタシには関係ないんですけど。でもクラスの仲間はワタシのほかに日本人2人ほどと、ブラジル人やスイス人たちなどがいて、スイス人さん元銀行員と結構仲良くなって一緒にプールに行ったりしたなあ。アウトレットのシーツを買いにいったこともあるなあ。思えばなぜシーツだったのかな・・・(^^;ま、そういうアウトレットがありまして。日本人の女の子は元デパートの店員さんで恋の悩みなどをよくワタシに打ち明けておりました。そういえば、スイス人(銀行員ではない)からも「Bb、遠距離だとやっぱ恋ってだめかしら」などとシンケンな顔でしかも土産店なんかで一緒にいるときに聞かれたものでした。スイスに恋人がいるのだけど、という話でした。・・・ワタシに聞くなよね(−−;なーんて思ったっけなあ。スイスとイギリスじゃ、結構近いじゃんね。イギリスと日本なんて地球と土星くらい遠いんだから。
ま、とにかく。
いよいよテストの前日!って日に、日本人元デパートが、ワタシにまた恋の悩みをカフェテリアで話す予感があったので、「ワタシ今日は帰るわねーまた明日っ」と冷たいワタシはさっさとカフェを後にして、一応試験勉強をしようと思い、本屋にも寄らず新聞インディペンデントも買わずに(いつもなら寄る)Mん家に帰り、TVなどを眺めてたその夕刻。
Mが、だんなの車がある場所で止まってしまったので迎えに行かなくちゃいけないと焦って言う。Bb、着いてきてくれない?ひとりだと不安だし怖いから。
ワタシは一瞬考えた。勉強が・・・・・・。
しかし、ま、なるようになれだわ、と思い、わかったー、とワタシは一緒に車に乗り込んで、田舎の道をPのいるという地点まで行ったのでした。
夕暮れの田舎道は素敵でした。道の両側には平原ばかりで何もなく。木々があったかなあ。途中、Mが叫んだのを思い出す。とても印象的だった。
「Bb、狐が走ったわよ!」
ワタシはその時、はっとして、何かを不思議なものを得たような気分になったような気がする。
ほとんど対向車のないウイークディの車道と夕暮れ。窓からの緑の木々の流れ。
だんなのPは車関係の仕事をしていて、白いバンを仕事用に使ってたのだけれど、それが動かなくなったらしい。よくイギリスではこんな感じに車が止まるのです。その頃、Pはドイツ人の助手がいて、その人も一緒にMの車に乗り込んで家に帰ったのでした。その晩、試験勉強をしたのかどうか全然覚えていない。
次の日の試験では、だめだめでした(^^;ま、実力がまだまだだったのです。
スピーキング、ライティング、ヒアリング(あったっけなあ☆)などがあり、ライティングでは、何でも書いていいってのだったので、ああ、もうどうでもなれだわ〜と、恋愛小説などを書いてみた。思えばマジに無謀でした(−−;
ただ、スピーキングだけはなぜだかパスしちゃいました。行け行けでしゃべったのがよかったのかも。
イギリスって結構ひどい国なんだけれど、今住んでいるところと同じようなもので故郷みたい。ぶつくさ言いながら住んでしまう。でも好き。もう仕方のないような。
でも、再度イギリスに旅行してロンドンなどを一人で歩いていると、だんだん肌に、何かこう、ぴたっとくる感じが思い出されてきて、嬉しいものでした。歩きながら「あ、この感じこの感じ」と思ってた。chillyな寒さがワタシは好きだった。
そういえばタクシーに乗ってタクシーの運ちゃんとおしゃべりするのも好きだった。
自然史博物館に行く時乗ったタクシーで、運ちゃんに電話がかかってきて切った後、家の子供からでさー、5人いるんだーと言うので、へえー、パパ、大変だねえ。かわいいでしょうねーなんて言うと、嬉しそうに色々話してくれたっけ。ホリディ?と聞かれ、そうなのー♪とワタシはとても明るい顔をしていたと思う。最後にはお金の話になって、どこも大変だよなーと二人でガソリンの単価の話などをしたっけ。懐かしいなあ。
ハイドパークを通って行った道。
自然史博物館での不思議な出来事が一生忘れない思い出。
アメリカ人の言ったgiftという言葉にぴくっと反応したのも、Mに、ワタシはよくイギリスで絵などをスケッチブックに描いていたんだけど、あら、Bbにはgiftがあるのね、とその言葉の意味を教わったのでした。私たちはそういう才能をgiftと呼ぶのよ。
思い出して書いているとMの声が聞こえるようだ。
当時買った麦藁帽子やコートなんかはもうないけれど、記憶だけはしっかり残っていて何かをくれるような気がする。
記憶の糸はもうたくさんからまってきて出てきているのですが、ながーーくなりそうなので、また次回。
今夜、なんだか皆さんに好評の(^^; コーヒーケーキを作ってみました。
コーヒーリキュールに溶かしたコーヒーを入れているところ。
ああ、すてき・・・・(って思うのは私だけかもしれませんね☆)この溶けているところが好き。チョコを溶かしいれるところも好きです。
山になってる〜小麦粉。私はバイオレット小麦粉を使っています。
今回は紙の容器に入れてみました(^^
ケーキを焼くのも服を作るのもニットを編むのも、数年前イギリスにいた頃には考えられないことでした。不思議なものです。人間って変わるものだと本当に思っちゃいます。
きっといつかまた行くでしょう。イギリス。その時はまた違ったものが見えるのかもしれません。