先日、ラジオの深夜放送を聴きながらワンピースを縫っていたら、アナウンサーが70代のリスナーの方からのお叱りのお便りを読んで恐縮がっていた。リスナーはあなたの声がとても耳障りだ、選曲も若すぎてロックなどよくない等々・・・・アナウンサーはお叱りをしっかりと受け止め気をつけます、選曲はいかんしがたいものでして、またこんなふうなお便りもあります、と80代のリスナーからのお便りも読み上げた。とても@@さん(そのアナウンサー)の時間が楽しみです。選曲もとても好きです・・・と。二人を比べることで言いたいことがあったんだろうな、ラジオ局として・・・と思いながらミシンをかけていたら、その後で、私の住む町の方からのお便りを読み上げられたので、少しばかり嬉しくなった。夜中に私と同世代の方がこのラジオ局を聴いているのだな、と。同じ町で遠い局。でも電波は同じ。
そこでまた、ふと、一ヶ月前ほどになるけれど、元生徒さんからのお母さんからお手紙をいただいて非常に嬉しく思ったことを思い出した。生徒さんは中1の時に来てくださっていたのだけど、辞めた生徒さんだった。そのコのお兄さんも一年ほど来てくれていた。お兄さんはもう高3になる。妹さんは中3で今年高校受験だったが、無事高校に合格しました、というお知らせのお手紙だった。Bb先生のおかげで勉強の仕方を覚えて・・・とか、お兄ちゃんも大学受験に向けて勉強に部活に忙しくしているとか。何より嬉しかったのは感謝をしてくださるということだった。お母様は九州ご出身の方で、県外の学力と高知県のそれを比べてみることのできる方だった。
またその手紙を受け取った同じ日に、中1の某ちゃんのお母さんからお電話があり、某ちゃんの期末試験の点数があまりよくなくて、という少しばかりお怒りのお電話だった。(というか、一言、言いたかったんじゃないかと思うのだけど)某ちゃんと話してみてくれないかとおっしゃる。2月終わりまで土曜の夕方の時間に中1のクラスをしていたのだけど、その土曜にいつも30分ほど遅刻してくることは黙っていた。期末テスト前の日も自分で勉強するので、と寺子屋を休んだ。
勉強以前の問題もあって、部活も学校も忙しくて夜、外に出るのがただ嫌なだけ、というのは最近話してみてわかった。親も嫌い、一人でひきこもっていたい、塾もいや、と某ちゃんは言う。だが、まあ、今もまだ来てくれている。
皆、子供のことを思う気持ちは同じなんだな、としみじみ感じる。お手紙を下さったお母さんはお子さんが同学年で苦手な子が塾でも同じことがその子には耐えられなくて、と寺子屋を辞めた。
某ちゃんのお母さんに某ちゃんが「分数がどうも苦手で・・・」と私が言うと、「小6の時、どうしようもないクラスだったので・・・」と返した。
同じことをしても、違うように感じるひともいるものだ。
ラジオを聴きながらそう思った。
ここのところ、自分がいったい何をしようとしているのか考えている。
仕事とは誰かを幸せに、誰かのために、社会に貢献するのが仕事だろうと思う。
それが自分の好きなことならずっと続けられるし、がんばることができるんだろう。
だけど、私は?
おととい、ふらふらと自分の書棚から手に取った犬養道子さんの「マーチン街日記」を読み返している。
私の大師匠さん。といっても私が勝手に思い込んでいるだけで、向こうは勿論知る由もない。
数年前に松山の聖カタリナ大に教授に来ていると知り、大学に講演会などありませんか、一般の人も受講できるような彼女の講座はありませんかと問い合わせて、大いに不審がられたものだ(笑)
1964年、日本はオリンピックの年に、この方はハーバード大学の客員教授となってボストンで勉強をしている時の日記である。
読んでいて自分が恥ずかしくなった。
数年前読んだ時は、とにかく日本を出て英語を勉強したい時で、日本と海外の違いを読み比べるような読み方をしていたに違いない。
それが恥ずかしいというのではなく、今の自分の愚かさ、未熟さ、無知さ、にだ。
西洋とアメリカと日本と、様々に思考を重ねて勉強している姿に、啓発されるものがある。
すさまじい読書。勉強とはどういうことか、私のようなものにも伝わってくる。そんな中にもエッセイ風の文章は面白く、感慨深いものがあり、とても面白い。
ところで余談なのだけど、この犬養さん、お祖父さんは有名な犬養毅である。そして、母方のほうの曽祖父に、なんと後藤象二郎さんがいらっしゃるではありませんか。
夜中にそれを知ったときは誰か友達に「きゃー、土佐の後藤象二郎さん家系が犬養さんに〜」と電話をしたいと思ったのだけど、きっと誰も興味がなかろうと思ったのでやめました(当たり前☆)。
例の『龍馬伝』で、吉田東洋の側近の役で出ておりましたね、幡多奉行といえばうちの辺り〜(笑)
『龍馬伝』では結構悪役に描かれておりますが(龍馬に嫉妬しておるようなバタバタ風に)この後藤象二郎さんが後の大政奉還やらになにやらご活躍されたのは龍馬のおかげでもあるそうな。
今後、岩崎弥太郎の血筋とも関わってくるのであります。武市さんも後にこの後藤象二郎に・・おっと、やめましょうね☆
まあ、つまり、犬養道子さんの家系に土佐の血も入っているということが少しばかり土佐生まれとしては嬉しいわけで・・・・。
けれど土佐は「こんまい」わけで、龍馬も「おさまりきらん」というわけで脱藩し、世界へ目指す・・・海の向こうが気になるのであった。
でも、土佐生まれだと言っても海外へ行けば日本人なわけで、イギリスへ行ってから日本人として意識するようになったので、関西弁と東京弁の違いは?どっちがいい?と日本人留学生同士がカフェテリアで議論してても「何それ?へんな話」と冷たい私なのであった。